【今年1年振り返り4・5月】沖縄から北海道までひとっとび、急性胃腸炎・コロナウイルスにかかる

移住生活

4月

【急性胃腸炎】

4月の最初のころ初めて急性胃腸炎になりました。理由はこの時自分では気づいていなかったのですが、仕事での精神的苦痛で体が弱っていたんだと思います。上から下からゲーゲーになってしまいました。

3日ほどトイレとお友達になり寝込んでいました。でもその間ペットたちとずっと一緒に入れたので幸せだった記憶があります。食料品や暇つぶしグッズをお店のスタッフや友達が玄関に置いといてくれ、すぐになおりました。

ちなみに久しぶりにダイニングテーブルで座ってご飯を食べていたら、ナナちゃんがめちゃくちゃこちらをにらんでいました。なんかすいません。

【12日】石垣島旅行

体調もすっかり良くなり予約していた石垣島旅行に行きました。私は沖縄が大好きなので年に2.3回行きます。毎年4.5月によく沖縄に行くので、この時期はいつも日焼けで真っ黒になっていました。この時の気温は27℃あり半そででも暑かったです。

沖縄と言ったらオリオンビール♪ですよね!オジー自慢のオリオンビールと歌を知っていますか?島の人たちはこの歌をよく歌います。私も島の人たちと一緒に歌っているうちに歌詞を覚えてしまいました。

沖縄に行ったら海に泳がなければいけません。ほかに泳いでいる人たちは全然いませんでしたが、ずっと水着を着ていて海を見つけるたびにシュノーケルをしていました。

この時はゲストハウスに泊まりました。このゲストハウスで飼われていた猫ちゃんです。

私が好きな沖縄の料理は海ブドウと島らっきょです。沖縄はすっごいおいしいご飯があるというわけではないのですが、この暖かい気候と透き通るような海とオリオンビールがあります。いやなことをすべて忘れることができます。

6月に八丈島に移住を決めた時、沖縄も移住地の一つとして考えていました。しかし沖縄は家賃や物価も高く、1年を通してとても暑いのでCOCOが暑くて外で散歩ができないだろうなぁと思いやめたのです。これからも沖縄へは旅行で行きたいと思っています。

写真は石垣島最北端で撮ったものです。

【17日】札幌旅行

沖縄から帰ってきてから3日後、仕事で札幌へ向かいました。1日目は麻雀プロの矢神ゆのプロと麻雀店でのゲストのお仕事です。せっかく札幌に来たのであれば満喫をしていこうと思い、札幌で延泊していきました。

札幌といえば、おいしい食べ物がたくさんあります。1日目は矢神プロとウニ・生ガキ・ジンギスカンと3軒はしごしました。

2日目からは別行動をし有名なラーメンを食べたりお寿司を食べたり、この日も円山動物園という動物園に行きました。

サルが落ちています。

暑かったのかチンパンジーが雪を食べていました。北海道ならではの光景です。

これはカバの胴体です。

ほかにもポケモンセンターに行ったり、カードショップに行ってポケモンカードを購入したり北海道らしくはないですが、大満足の旅行でした。

5月

【コロナウイルス】

コロナウイルスにかかってしまいました。ワクチンを2回打っていたものの、もう効き目もきれてしまっていたのか3日間39℃の熱があり喉に骨が刺さっているような痛みに襲われていました。先月病気になったのにまた・・・と心が折れていましたが、この時もスタッフや友達がたくさん差し入れを置いておいてくれ、そのやさしさに心が救われました。

ちょうど仕事のことで悩んでいたので、体調はつらかったものの気持ち的にはかなり救われました。とはいうものの、もうコロナにはなりたくありません。

コロナウイルスになり10日間自宅療養をしていました。この時に人生で1番悩んでいてうつ病のような症状になっていたのです。部屋も洗い物もぐちゃぐちゃ、夜も眠れず真っ暗にすることが怖くて1か月近く寝る時も電気とテレビをつけたまま過ごしていました。体重もかなり落ち、ペットの世話だけはしていたのですが、1週間お風呂に入らないということもざらというような状態でした。

この時はもう仕事をやめようと決断していました。勤務先での長年のいろいろなものの積み重ねで気持ちが壊れてしまっていたのです。もちろんスタッフもお客さんのことは大好きだったので、辞めたくない気持ちが強くありましたが、体調を壊すことが多く自分の気持ちまで壊れてしまったのでやめることにしました。

私は昔から自然豊かな海のキレイな暖かい島に移住したいという夢がありました。その話を友達にすると「ばらかもんっていうアニメ見てみなよ」と言われ、ばらかもんを自宅療養中に見ました。

ばらかもんは長崎の五島列島を舞台にしたアニメで、田舎の良さのほほんとした暮らしが描かれています。このアニメを毎日毎日見て羨ましくて憧れて見ながら泣いていました。

この時「よし、五島列島に移住しよう」と決め五島列島を急遽見に行くことにしたのです。

【17日】五島列島を見に行く

10日間の自宅療養も無事に終え体調が万全になったので、さっそく五島列島に行きました。五島列島への行き方は一度長崎空港に行き、そこから乗り継いで五島列島行きの飛行機に乗ります。

私は第二の人生を五島列島でペットたちとのびのび暮らそうと思い、お家を買おうと思い役場に行きました。お家を何軒か見た中で気に入った物件がありました。実際に購入しようとしていたお家です。このお家はかなり気に入り、目の前に畑があるのですがその畑も貸してくれるとのことで大家さんはとても良い方でした。

お家が決まったので、次は仕事を探します。独り身なので仕事をしなければ生活はできません。役場の方にも聞いたのですが、この周りにはほとんど仕事はなく役場でのデスクワークか、車に乗って市街地まで行けば仕事はあるかもしれないと伝えられました。

この張り紙はスーパーのスタッフ募集の紙です。

東京に比べると時給がかなり安いという印象を受けました。タウンワークなどで調べてみましたが他の仕事もあまり変わりませんでした。少しだけ貯金があったので最初はなんとかできるものの、ペットを4匹飼っているので普通の1人暮らしよりもお金がかかります。これではきついかなぁと考えながら夜ご飯を食べにお寿司屋さんに行きました。

お寿司屋さんに行き食事をしているときに、お隣のおじちゃんたちと仲良くなり「移住したいんですよね」というお話をしました。お家はいいところを見つけた話・仕事が見つからなさそうな話・旦那さんが欲しいので若い男の人はいるかの話の3つ話しをしたのです。話を聞いてみると、仕事は確かに少ないし島は若い人が少ないから難しいかもねと言われました。

それでもお話した方たちはすごい良い方で、仕事も旦那さんを見つけるのも手伝ってあげるよ!と言ってくれました。

島の人は本当にいい人たちばかりで、五島列島は原付バイクで行動をしていたのですが、ガソリンスタンドにガソリンを入れに行くと、レンタルバイクに乗っていた私にスタッフの人が「旅行ですか?」と話しかけてくれました。「移住したいと思っていて見に来ました」と伝えると「仕事見つけてきてあげるよ!」と連絡先を教えてくれたりもしました。

本当に五島列島はいいところだったのですが、独りで移住するには少し広すぎて寂しい気持ちになってしまうと思い五島列島への移住は断念しました。

【某日】麻雀格闘倶楽部コナミカレンダーの撮影

この日は麻雀格闘倶楽部のカレンダー撮影がありました。今年は山脇さんと菅原さんと3人で12月のクリスマス担当です。店長を辞める数日前ということもあり、足取りがかなり重く、みんなに会ってどんな話をしたらいいんだろうと重い気持ちになっていました。

でも行ってみると、同期や先輩たちが優しく声をかけてくれ心配をしてくれました。本当にみんないい人たちです。仕事を辞めること・島に移住しようとしていること、いろいろなお話をしました。

撮影は歳も一緒で仲の良い2人だったので楽しく撮影ができました。きっとコナミカレンダーの今までの撮影の中で一番いい表情で撮れていたと思います。写真は撮影に使う小道具をヒーヒー言いながら、風船を膨らましみんなで準備しているときのものです。

【31日】勤務先を辞める

23歳から長年店長をしていた麻雀店を退店しました。仲良くしてくれたお客さんも助けてくれていたスタッフにも感謝しかありません。

詳しいことは書けませんが、いろいろなことにもう耐えきれずに辞めることにしました。辞めると決めたのも1か月前で、本当に自分が辞めるのか当日まで実感がわきませんでした。当日はたくさんの人たちが会いに来てくれて、とても楽しい時間をありがとうございました。本当はもっと続けたかった気持ちがあったのですが、これを機にほかにも生きている間にやりたいことが山ほどあったので、第二の人生をはじめようと決意したのです。

この時今後の麻雀活動をどうしようかずっと悩んでいました。日本プロ麻雀連盟の黒木さんに仕事のことプロ活動のことを相談をしようと思い電話をすると「仕事場が嫌ならそんなものは辞めてしまえばいいよ。わざわざ嫌な思いしてまでやらなきゃいけないことじゃない。麻雀も嫌いになっちゃったんか?」と聞かれ「いや違います。麻雀は今でも好きだし続けたい気持ちはあります。」と伝えました。「だったら落ち着くまでリーグ戦はお休みして、また元気になったら復活したらええやん。」と言ってくれて心が救われました。

実際ここ3月から6月までずっと鬱のような状態で、自分で判断していることも正しいのか分からず自分の決断にも自信がなくなってしまっていました。でもこうやって黒木さんとお話をして、これからどうしていこうかとかではなく、1回ゆっくり休んで好きなことだけをやったらいいんじゃないかと話してくれたのです。

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