ブログをサボってどれくらいの日が月日が経とうとしているのか、ちーぼーです。あの日から6週間くらい経っていましたね・・・笑
最近はというとある目標ができて、食う寝る働く以外はずっとそのことに時間を費やしていました。ちーぼーはブログを書いていなかった時間も楽しく元気に過ごしていました。
1つのことをやりはじめてしまうとそのことばかりに打ち込んでしまう性格なので、SNSやブログがストップしてしまっていました。あまりにもSNSを更新しないので島の人たちにも「ちーぼー最近生きてる?」と心配していただいてしまい、すいませんでした。ありがとうございます。
このブログは毎日更新しなくても、毎日ブタメンが買えるほどには収益が出ています。収益はモチベーションの1つにもなっていますので、今後とも気にかけていただけたらうれしいです。
今日からまたブログもマイペースに更新しようと思いますので、よろしくお願いします。
本日のブログは麻雀プロである私が出演させていただいている、麻雀ゲーム「麻雀格闘倶楽部」卒業にあたっての記事です。
麻雀格闘倶楽部 卒業

2024年3月31日をもちまして、麻雀格闘倶楽部AC・SPを卒業いたします。8年という長い期間たくさんの思い出をありがとうございました。
麻雀格闘倶楽部との出会い
私は高校生の時に初めて、ゲームセンターで麻雀格闘倶楽部というゲームがあることを知りました。まわりの友達はゲーセンに行き、UFOキャッチャーやプリクラを撮っている中もくもくと1人で麻雀を打ち、気が付けば麻雀格闘倶楽部を打つために1人でゲームセンターに通うようになっていたのです。
その当時は麻雀プロになんて興味がなく、打っていてプロが出てきても「わーこのおじいちゃん強そう」「えーこんなにキレイな人も麻雀打つんだー」くらいにしか思っていませんでした。
まだ麻雀格闘倶楽部をはじめた時は符計算が分かりませんでした。ですがゲームが勝手に符計算をしてくれるので、繰り返し繰り返しゲームをやっている中で覚えることができました。
学生時代
中学生からはじめた麻雀は高校生になってもどハマりをしたままで、休みの日は友達のお家で麻雀をしたり、雀荘で打ったり(多分怒られる)、学校に麻雀牌を持って行って廊下で広げ麻雀を打ったりしていました。学校に麻雀牌を持っていくのは多分だめなことなので、無事に先生に取り上げられ、新しいのを買いまた持っていきまた取り上げられ、いたちごっこをしていたのはいい思い出です。
ちーぼーの人生で1番麻雀に夢中だったのが高校生の頃です。麻雀牌を公園に持っていったり川に持っていったりしていろいろなところで広げ、なんだかいつも麻雀牌と緑色のマットを抱えて行動をしていました。
授業中には消しゴムを麻雀牌に見立て、回し切りの練習をし少しでもカッコよく打てるようにと練習をしていました。
24時間の徹マンはもちろん36時間打ったり、5人打ちにして1人睡眠休憩をとりながら、4日間ガムシャラに打つほどの麻雀狂いでした。漫画に出てきそうですが、雀荘の椅子で体育座りをして仮眠をとり入り浸りの生活をしていました。

そんな麻雀漬けの高校生活も終わり、大学へと進学しました。大学でも相変わらず麻雀をする日々で、この時に雀荘で初めてフリーデビューをしました。その当初は若い女の子が麻雀を打ちにくることは珍しく、周りのお客さんやスタッフさんにチヤホヤしてもらい、そのままのせられ麻雀店で働く事になったのです。
その雀荘が蒲田にあるドラ魅ちゃんです。今は名前が変わって、じゃじゃ丸という名前になっています。この雀荘では当時、高校の麻雀仲間が4人働いていました。
肝心の成績はというと、高校の仲間内では勝っていた方でしたが、フリーでは毎日ボコボコにやられ月200ゲーム打ち平均着順2.85の月が続いていました。その分お仕事を頑張らなきゃいけなかったので、麻雀店で働くために夜ガールズバーでも働いていました。
プロを目指す
気がつくと大学もサボり麻雀を打ち、打ち終わったら雀荘のアルバイトに行く生活をしていました。結局こんな生活だったため大学は早々に辞めてしまい、雀荘の先輩にプロにならないかと誘われ麻雀プロの試験を受けたのです。
その時誘っていただいたのが連盟のプロだったたことと、他に団体があることを知らなかったので日本プロ麻雀連盟を受験しました。
「ヨシ!麻雀プロ目指すぞ!」という張り切るようなものは特になく「麻雀好きだし強い人と打ちたいし、麻雀死ぬほど極めたろ〜」と何気なくフラッとプロになったという感じでした。
テストの方はというと、実技筆記面接とあり、実技は普段から打っていたので自信はありましたが、筆記の自信はなく勉強をしました。細かい点数計算・漢字問題・何待ちか、あと何が出たかなぁ。覚えていませんが結局筆記はかなり点数が悪かったです。よく合格にしてもらえたなぁというくらい悪かった印象です。
面接は紺野さんが担当されていました。何を話したかはあんなまり覚えていませんが、面接だし念のため「麻雀を私の力で広めたい」ばりの話をした気がします。あとは「紺野さんの顔こええええー」という思い出しかありません。
何はともあれ、19歳の時にめでたくプロに合格することができたのです。
プロ活動

麻雀プロになってからはリーグ戦やタイトル戦にはすべて参加し、麻雀プロとして依頼されたお仕事は全部受けると決めプロ活動をしていました。当時はまだあまり女流プロというものはメジャーではなかったため、今では考えられないようなギャラの安いゲストや、片道2時間近くかかる雀荘もあり、全て行かせていただいていました。
プロの対局では、最初の方リーグ戦もタイトル戦も女流桜花も好調で、出れば出た分勝っていたと思います。新人ながらもリーグ戦は2連続優勝昇級し、タイトル戦ではチャンピオンズリーグ(今のWRC)のベスト16、十段戦四段戦S、女流桜花はストレート昇級しそのまま桜花の決定戦まで行くことができたのです。

プロになってから5年ほどたち、ある日「雀荘の店長をやってもらえないか」というオファーがあり、プロ6年目で麻雀店の店長になりました。今では女流プロの店長はたくさんいますが、その当時は他にはおらず業界的にも革新的なことだったと認識しています。
店長になってからは接客・スタッフ管理・販売促進・経営・シフトやイベント作りなどを行いながら、ゲスト活動やプロ活動をする日々を過ごしていました。プロ9年目くらいから仕事がどうしても忙しく「対局<仕事」になってしまい、少しずつプロとしてのモチベーションが落ちてきてしまいました。
やっぱりモチベーションが落ちると、そんな状態で対局に勝てるほど甘いものではなく、女流桜花は5.6年連続でプレーオフに進出していましたが、その時はじめて降級をし、リーグ戦でもずるずると降級をしてしまいました。
麻雀格闘倶楽部の思い出

話は少し戻りますが、プロ3年目くらいのころ麻雀格闘倶楽部に出演が決まり参戦させていただくことになりました。まさか自分が高校生のころに遊んでいたゲームに出演できる日が来るなんて思ってもおらず、出演が決まった時は嬉しさのあまりお祝いとしてお酒をたらふくのみ、次の日夕方までゲロピーしてしまいました。この時の二日酔いが人生で1番辛かったです。
そんなにお酒を飲んでしまうほどに、麻雀格闘倶楽部の出演はとても嬉しかったのです。
麻雀格闘倶楽部はプロの一握りの人間しか出演することができません。周りの出演プロlは超有名なプロたちばかりで緊張の中、ゲームで使用する写真を撮りにスタジオに行きました。
年に1回あるゲームのバージョンアップの際、毎回スタジオでの撮影が行われます。昔に一度、私の写真撮影の後に森山会長の番があった時は「ひえー!もう何でもいいからチャチャっと撮って早めに撮影を終わらせて、待たせないようにしなきゃ!」と思ったバージョンの回もありました(笑)
男性プロの写真撮影は割とササっと終わりますが、女流プロの撮影は何といっても長かった気がします。あーでもないこーでもない「角度が!ポーズが!」と言って自分の納得の一枚を撮るイメージがあります。いや、別に文句じゃなくて、プロ魂ですよね。少しでも自分の良さを画面越しに伝えるのは、大事なお仕事です。

私はというと自分の顔のいい角度も分からないし、ポーズも何がいいのか分からず、カメラマンの方頼みで撮影をしていました。緊張Maxだったのでデビューしたバージョンの写真は、お風呂上がりに牛乳瓶を飲んでいる人のようなポーズになってしまいました。
選抜戦

麻雀格闘倶楽部では年に一度、昔のAKB総選挙のような選抜戦と言う、人気投票があります。
いやー最初はいやだったなぁ。だって選抜戦をやらなくても、自分が人気ないことなんて知っていましたから。自分が人気がないというと語弊がありますが、自分の周りのプロの方々があまりにも有名で魅力的で、そんな人たちを超えることは容易ではないという感じでした。
また、それを順位付けされランキングとして発表されることに少しだけのストレスと、大いなるプレッシャーを感じていました。
私はそんな中「せっかく人気投票やるなら、せめて真ん中くらいにはなりたい」と、そのためには何をしたらいいんだろうと考えました。もちろん麻雀の成績を残し有名になるという方法はありますが、そんなものは元から頑張っています。
他に何があるのかなと考えたときに、ユーザーのみんなと寄り添って一緒に頑張れるようにしようと考えました。


例えば、自分の参戦する時間を発表しユーザーの方と同卓しやすい環境を作ったり、投票している方への感謝のメッセージを個別に発信したり、エゴサをし感謝の気持ちを伝えたりというものです。今ではそういったことをされているプロは多くいらっしゃいますが、その当時は誰もやっておらずこのレギュレーションのようなものは私がはじめ、広まったのかなと思っています。勘違いだったらゴメンナサイ。



私のこの作戦はありがたいことに成功し、私に投票してくれた皆様のおかげで見事選抜戦のランキング中位に入ることができました。気が付くと「ちーぼー学園」というファンクラブができ、麻雀格闘倶楽部のネット以外でも、リアルで年に数回麻雀大会が開催されるようになったのです。
麻雀格闘倶楽部は全国どこにいても打つことができ、遠くにいても一緒に麻雀を打つことができます。麻雀格闘倶楽部のおかげで全国に私のことを知ってもらうことができました。
さいごに

私にとって麻雀格闘倶楽部はかけがえのない存在です。いつの日からか「もし麻雀格闘倶楽部クビになったら麻雀プロ辞めよ」と思っていました。
おととし島に移住し、今は対局もお休みさせていただいており、島に来てからは麻雀活動というものは麻雀格闘倶楽部を打つことだけでした。
島に移住したらなかなか麻雀活動はできなくなってしまうので、島に移住するのは辞めようと考えていた時期もあります。ですが、新しいことややりたいことをはじめるなら、何かを失うことを恐れては前に進むことができません。そんなことを悩み考えながら、私は島に移住をしてきました。
と、かっこいいことを言ったものの、やっぱり「そろそろバージョンアップがあるだろうな。対局にも出てない分際で麻雀格闘倶楽部に出続けることは無理だし、いつクビになるだろう」とビクビクして最近は過ごしていました。
そして今回2024年4月のバージョンアップに伴い、私は麻雀格闘倶楽部を卒業することになりました。ちょうど情報解禁の日が、私が島のお仕事で東京出張をしている日でした。自業自得ではありますが「とうとうこの日が来てしまったか」と悲しみと自分の情けなさでホテルで泣いてしまいました。
こんな私にもファンがいてくれています。私を応援してくれているファンのみなさまには、私の努力不足で悲しい思いをさせてしまい、本当に申し訳なく思っています。
長い間麻雀格闘倶楽部を通じてたくさんの思い出をありがとうございました。本当に本当に感謝しかありません。

これからは今回の卒業を新しいスターとし、生きて行こうと思っています。麻雀プロは辞めません。また対局にもエントリーしたいと思っていますし、麻雀プロとして、人として魅力的な人間でいたいです。
私の存在が誰かの生きがいや楽しみになれるよう「推してよかった」と思わせてやります。
これからもこんなちーぼーですが応援していただけたら嬉しいです。
コメント
チーボー格闘倶楽部卒業おめでとう
最後に同卓出来ましたね おまけはリーチをかけて九連宝燈を打ち込みました
リーチをかけての結果でした
ロンロンはまだやめませんとのことですからまたロン2で打てますね
早速天鳳四麻に入りましたから三麻ばかりやらずに四麻にもうちに来てね
本当に11年間ご苦労さんでした
天鳳はユーザー名masayosiです